◇89年のベルリンの壁が崩壊して20年。この間に学習観は大きく変わった。教師という専門家以外に、子どもたちの学びのサポートにかかわるロールが生まれてきたというのもその1つだ。塾の講師というのは、教師の代替あるいは補完であり、新しいロールとは言えない。
◇教師は、学習指導要領や学術的な知識の体系の枠内で、問題解決のスキルを育んでいくが、新しいサポーター―これを学習アドバイザー(LA:Learning Advisor)と呼ぶことにするが―は、その枠内に入れない子どもや枠内の中で進めないでいる子どもや枠内をはみ出ている子どもたちの学びをサポートするのである。
◇知識の体系は1つのストーリーだし、因果関係の連鎖である。これを丸ごと記憶すれば、近代社会でサバイバルできるように構築されてきた。だから教師はこの知識の体系を伝え、記憶する環境をつくるのである。
◇専門家と子ども=未来の市民の関係は、縦の関係だった。ところが、裁判員裁判、政権交代選挙、マニフェストの市民による批判、科学コミュニケーションのフラット化など、専門家でない市民が自ら選択や評価の判断を下さなければならない時代が訪れている。
◇知識の体系も時代のイノベーションや科学技術の進化、脱技能の促進によって、拡大し、学習指導要領に基づく体系では、不足し始めている。基礎基本の概念も変わりつつある。
◇あらゆる領域が異領域どうしのコラボレーションが必要となっている。教師だけが異領域どうしのコラボレーションがないという学びの環境を維持し続けるとなると、これはもしかしたら時代錯誤になりかねない。
◇そこで、教師と異領域を結ぶロールプレイヤーとして、LAが必要となる。結ぶロールプレイとは≪媒介=メディア≫になるということなのだ。
◇教科という知識と教科を超える知識を結び付けるのは、子ども自身であるが、子ども自身はまだ自らが媒介者として成長していない場合が多い。とくに従来の教育では、子どもは自らの白紙の脳みそに知識を刻印されてきたのだから、自らそれをどのように刻印すればよいのかはわからないままできている。もちろん、中には優れた子どもがいて、その方法に気づいてしまっている場合がある。
◇そのような子どもは早熟で、同世代の知的レベルにおいて圧倒する賢さを示す。しかし、多くの子どもはそこまではいかない。そこで、媒介のロールをするLAの存在は、多くの子どもに知識の刻印の仕方を気付かせることになる。
◇これは1つの大きな飛躍である。近代社会は、多くの知識を平等に刻印されるチャンスをつくり、その刻印された知識を活用して生きていけるように組織されている。多くの知識が刻印され、それを効率よく加速度的に活用できる人材が勝ち組になってきた。この勝ち組になる過程を成長と呼んできたわけであるが、すべての子どもが知識の刻印の秘密を暴けるようになるというのは、成長の次元を超えるという意味での飛躍である。
◇ともあれ、今までは、一握りの人間はその勝ち組の人材をマネジメントできる立場に立つことができた。彼らは刻印する方法を、つまり知識の刻印の操作を知っている専門家だ。勝ち組負け組という競争市場をつくり、そこから税金を回収する管理者である。
◇ところが、どうもその市場の広がりがおもわしくない。勝ち組負け組のない本来的な市場を創ろうじゃないかという動きが生まれてきている。もちろんこの実験は、遠くギリシャの都市国家づくりから議論され、実験されてきた。しかし、そのたびにうまくいかなかった。
◇それは一部の人間の利益に結びついてしまったからだ。21世紀は、ここを突破しようとしている。そうすると今までのメリトクラシーの組織は揺らぎ始める。LAの存在は、その揺らぎを抑えるためにはじめ存在するが、その揺らぎを促進する存在にシフトする可能性がある。
◇だから、教師とLAのコラボがうまくいかないときがあるのである。揺らぎを抑えるロールは実は難しいのだ。というのは、LAは多くの場合大学生やそれに準じる若者である。彼らは、すでに揺らぎを生む世代なのであり、その自覚を持って、使い分けができない。
◇しかも揺らぎを起こすスキルやノウハウを積んでいるわけでもない。時代の雰囲気に包まれている場合が多い。だからLAは研修を充分に受け、覚醒しなければならないのだ。なぜなら、揺らぎは、中途半端な場合、負のベクトルを生むからである。負のベクトルを生むくらいなら、揺らがない方がましなのである。