☆APUを訪れた時、祖国リベリアの内戦で、ギニアにのがれた学生と話をする機会を得た。その内戦の凄まじさ悲惨さは表現を絶するものだ。彼はBBCでも活躍しているそうだ。仲間に呼び掛ける。しかし、内戦が当たり前になっている国では、その声が届かない壁もある。自由とは何か理解するフレームがないからだ。
☆心の壁とでもいおうか。ああ村上春樹さんが壁にぶつかる卵になるというのは、こういうことだったのだとそのときやっと気づいた。言葉ではさんざん語ってきたが、言葉が身体に染みいるとはこのことだったのだ。
☆だから、リベリア出身の学生の夢は、「私の夢は世界中の人に自由な言動が保障されることです。そのために国際機関で働きたいのです」と明快・簡明に日本語を放つ。その言葉に感銘できる自分に、彼の言葉の理解を妨げる壁が自分の中にないかもしれないという期待と喜びをもたらしてくれた。
☆自由な言動が保障されている日本人は幸せだとも。だからAPUに志願したとも。それなのに、自分の考えを自由に発言しなかったり、正しいと思うことを行わなかったり、自由ではないと駄々をこねたり、なんて私たちはもったいない、無駄な時間を過ごしているのだろう。
☆いっしょにいた他の出身国の違う学生も自由について語る時、ある共通点があった。それは「いつもいっしょに」、「仲間」、「チームワーク」「世界の問題」というキーワードがでてくる。個人の自由の尊重と友人や学校や家族、社会がそれぞれ幸せなシステムになることを考え、企画し、起業し、働きかけるのだという点だ。
☆近代というエポックの始まりは光と闇を一度に生み出したが、APUの自由は光である。万人の万人の闘争を乗り越える自由の領域、権力や権威の同調抑圧力をはねのける自由の領域、だからといってエゴをふりまくような似非自由のワナに陥らない自由の領域を形成し持続可能にしようという意志を感じる。

☆この意志こそ日本の明治以降から今も生まれ続けている≪私学の系譜≫としての私立中高一貫校の建学の精神である。私立学校が世界の苦しみ痛み悲しみを共有し、解決しようと働きかける自由な言動の領域にあるということをAPUで改めて確認できた。純粋に≪私学の系譜≫という世界精神を持続可能にできる大学はAPUだけかもしれない。ここでは日本の公立高校出身の生徒もその精神を継承することができる。私学の教育のクオリティを広めなくてはならないというのが、≪私学の系譜≫のミッションであるが、その拠点がAPUなのかもしれない。

