◇桐光学園がエクセレントスクールであることに間違いない。その点において、麻布・開成・武蔵といったいわゆる御三家と変わりはない。
◇では何が違うのか?進学実績とか偏差値とかは確かに違うかもしれない。しかし、それはいずれ解消してしまう量的差異である。
◇では質的差異はどんなところにあるのか?まず一つは、御三家は男子校であるが、桐光学園は男女別学であるという点である。しかし、これも男女の成長のしかたや学習の仕方の違いを認識しているという教育的質では変わりがなく、経営上男子校なのか別学なのかの違いに過ぎない。
◇となればどこに?それは教育環境の設定である。エクセレントスクールとしての御三家は進学指導とリベラルアーツの両方の強力なベクトル合力が建学者の精神・理念を支えている。エリートスクールは、リベラルアーツより進学指導のベクトルの方が大きい。クオリティスクールは進学指導よりリベラルアーツのベクトルの方が大きい。トラディショナルスクールは、その両方のベクトルが小さく、建学者の精神が大きいので、かなり道徳主義的になる。
◇そういう意味では、桐光学園もリベラルアーツと進学指導の両ベクトルが強力である。しかし、リベラルアーツは線ではなく面である。本当はリベラルアーツのベクトルの質が違うのだろうが、それは複雑になるので、イメージ図としては下記のようになる。

◇桐光学園の場合は、リベラルアーツ=「テオリア」×「学問のツバサ」(これについては中高一貫校サーチ・トピックス「桐光学園が知の最前線を編集するわけ」を参照されたし)という関数になるが、
麻布の場合は、リベラルアーツ=「論集」×「新教養主義講座」となる。
武蔵の場合は、リベラルアーツ=「レポート」×「外国語」となる。
開成の場合は、リベラルアーツ=「レポート」×「講演会」となる。
駒東の場合は、リベラルアーツ=「レポート」となる。
海城の場合は、リベラルアーツ=「論文」×「PA・ドラマ」となる。
◇桐光と駒東のリベラルアーツの関数は明らかに違うが、他とは差異はないのではないか?
◇まず、「レポート」というのは、「テオリア」や「論集」「論文」とは違い、各教科で任意に行われていて、学校全体の取り組みになっていない。また「新教養主義」「講演会」「外国語」「PA・ドラマ」は、「学問のツバサ」レベルではないというか、自前主義ベースである。最先端の知を桐光学園ほどオープンに結合しているところはないし、それを生徒の研究・作品集と並列できるように出版化しているところもない。
◇この違いは要するに何なのか?それは理念パフォーマンスが、古典主義で実行されるのか、プラグマティズムで実行されるのかという違いである。おそらく御三家や駒場東邦は、その哲学は啓蒙主義の延長上にある。桐光学園と海城も、ローティ的プラグマティズムであるから、啓蒙主義的哲学の延長になるが、それはネオ啓蒙主義としてのプラグマティズムに位置づけられる。つまり道徳主義ではない。ある意味システム論的ポジションなのかもしれない。
◇理念なき機能主義ではなく、理念脱構築的機能主義が桐光学園。この理念脱構築性が、桐光学園のリベラルアーツの特徴。それは「テオリア」と「学問のツバサ」を読めば明か。一方御三家は、建学者の理念浸透持続可能主義。その理念が歴史的正当性を有しているがゆえに御三家なのかもしれない。
◇桐光学園のこの教育システムが、日本国内の進学実績の競争に尽力されるだけではなく、世界と結び付くならば、日本の私立の中等教育学校システムの新たな局面を拓くことになるだろう。世界に結び付くとは、交換留学とか海外留学とかいう従来のプログラムのことを指しているのではない。もちろん、それも含むが、最終的には世界の子どもたちが、桐光学園経由で世界の大学に進学していくことである。


[...] ☆最近では、クオリティスコアをリベラルアーツの質と置き換え、偏差値を
テオリア(笑)
学問のツバサ(笑)
リベラルアーツの関数(笑)