◇私学の先生方、塾関係者、教育関連企業、IT関連企業、編集者などの方々と毎日のように話し合っていて、話題になるのは、「各私立学校の特徴は何か」というのと「人材(財)の育成はいかにして可能か」という話であるが、両方とも結局は「魅力」というキーワードに包括されてしまう。
◇具体的に私立学校のそれぞれのイベントや授業などの話から入ったとしても、結局はプログラムの話なので、魅力のリソースということになるし、生徒獲得戦略の話題になっても、それは「魅力」という「評判づくり」の話につながる。人材(財)育成の話も実は「魅力」のリソースである。
◇そういうわけで、受験生側にとっては学校選択とは「魅力探し」だし、経営陣にとっては「魅力作り」ということになる。
◇それでは私立学校の「魅力」とは何だろう。たいていは、魅力の要素を探すところから始まる。授業時間数の多さ、イベントの充実、リベラルアーツのプログラム、面倒見の良さ、丁寧なコミュニケーション、教育空間、英語教育、留学制度、奨学金制度、進路指導、スペシャルプロジェクト、教師力、姉妹校の存在、高大連携、ネット学習や連絡網の充実・・・等々。

◇それで、その特徴を説明会などでプレゼンするということになる。しかし、この手の説明をずっと続けていると、よほど他校と違うことをやっていない限り、複数校の学校説明会に足を運んでいる保護者にとって、何が魅力なのか実はピンとこない。だから偏差値や大学進学実績などスコアの違いが目立つ。言い訳がましくない魅力項目というわけだ。
◇しかし、それとて一部の学校以外はあまり当てにならないということが、情報社会にあって、ウスウスわかってきている保護者が多くなってきている。選択のニーズは多層多様化している。見た目で判断する層もいるし、口コミを大事にする層もいる。グローバルな視野で品定めする層もいる。愛情や情熱を大切にする層もいる。子どもの成長の度合いを調べる層もいる・・・。そして保護者の見方とは違う塾や教育関連産業の思惑が重なってくるのだ。
◇そこで、何をやっているかという魅力表現ではなく、何を何のためにどうやっているかという魅力項目の内的構造をなんとか表現しようとうする。しかし、意外にも場当たり的で自転車操業でやっているケースが多い。だから、結局何をやっているかという魅力表現で終わることになる。これが続いている学校は、学内で改革ができない教師どうしの人間関係の壁がある。保護者としては、何をやっているかだけでは、不安に思うのは、学内の教師のチームワークが見えないなぁとふとよぎるからでもある。

◇特に父親が学校説明会に訪れた時、構造なき魅力の羅列を聴いていると、「あれっおかしいぞ」という反応になる。日ごろ父親にとって、PDCAサイクルは当たり前だし、企画提案書や事業計画書を山ほどつくっているはずだから、こんな「お題目」だけ並べていても、実効性や可能性が見えないなぁと感じる。
◇たしかに実績は大事だけれど、企業の新規事業立ち上げなどでは未知の可能性への確実性をどうプレゼンするかしかないわけである。進学実績がないからうちには生徒が来ないと、もし思う教師がいたら、企業だとしたら、そんなスタッフには、何を言っているのか、初めから正解があるわけないだろう、いかにチャレンジの可能性を高める戦略やアイデアを生みだすか、そしてタフに実行するかだけだろう、それがマーケティングなんだよと言われるはずだ。事実の集積だけでは何も生まれない。事実と意志の架け橋はアイデアとイノベーションなのだ。
◇もちろんそうでない企業もたくさんある。そういう企業はしかしどうなるかは周知の事実である。ともあれ中学受験生の父親はそういう感性を持っている。だから説明会終了後、八雲学園の校長にかけよって、シンプルで戦略的で実行可能性に期待できる学校ですねと声をかける父親がでてくるのだ。
◇麻布の説明会で、父親が、息子に「よい学校だよ、ウン。よい学校だよなぁ、ね」と語りかける様子が見られるのもそういうわけだ。一般の学校では社会の激変と授業がどう結びついているかまでは論じきれない。麻布の場合は、朴訥とした先生方の語りの中に、歴史性とそれを乗り越える知のイノベーションがわかるプレゼンをする。父親にとってはトレンドをつかんだ良質のアイデアや商品のように映るのである。
◇だが、だからといって魅力項目の内的構造を組み立てることのみに必死になると、経営的には危ないのである。今度は木を見て森をみなくなる。1つのことにとらわれると、限定的な合理性で終わり、全体としての合理性が喪失して、不合理なゆがみが生じる。内的構造が暴走するのではなく、全体の中の入れ子構造として位置づけるマネジメントが必要になる。それをバランスとも言うが、言うは易し行うは難しである。

◇だから、ダイナミックな歴史的な動向と教育実践を結びつけることができる私立学校の見識にであったときに、感覚的にではあるけれど、グッとくるのである。そしてこの見識という教養こそ、多様な魅力を全体観として映しだすアイデアなのである。(つづく)

