本間勇人 の Goodware Times

Good Schoolはいかにして可能か?①

2010/05/26

カテゴリー: イノベーション


§1 Good Schoolの条件

 

中等教育段階の学校として、Good Schoolはいかにして可能か?私立学校であれ、公立学校であれ、Good Schoolはいかにして可能なのか?

 

目の前の教育政策、目の前の生徒獲得戦略は、非常に重要であるが、もしそれが上手くいっていない場合、根本に立ち戻って考えてみるのもよい。

 

特に国全体があるいは教職員が一丸となってがんばっているにもかかわらず、教育政策がうまくいかない、あるいは生徒募集がうまくいかないという場合、それは情熱が足りないわけでも、チームワークがうまくいっていないわけでもない。もちろん、現実的にはそういうことが原因でうまくいっていないことが多いかもしれないが。

 

大学進学実績が上手くいっている場合、必ずしもGood Schoolとは言えない。しかし、大学進学実績が上手くいっていない場合、Good Schoolの条件は明らかに満たしていない。

 

そうはいっても、大学進学実績とは何だろう。実はそのことについても真剣に議論されることはなかった。東大・早慶上智・MARCHクラスの大学にたくさん入学させることは、進学実績の一部ではある。しかし、それがいったい何を意味するのだろうか。

 

大企業や資格社会で生き延びるのに役立つという回答はすぐに返ってくる。しかし、それは20世紀日本社会で有効だったに過ぎない。いや、今でもこの流れや結び付きは不変であるといわれるだろう。その通りである。しかし、そのことが今でも意味があるというのだろうか。もしそう思っていたならば、その発想は日本の未来に暗い影を落とすのに一役買うことになるのではないか。

 

日本標準は、完全に世界標準に通用しなくなっていることが明らかになったのが89年以降の歴史である。

 

しかし、タイタニックというメタファーが使われるような場合に相当するのが、今の日本社会である。日本標準というタイタニック号にしがみついていても、うまくいかないのである。

 

だから、Good Schoolの条件は世界標準を実行しているということである。では、世界標準とは何か?それについても実は、教育の世界ではあまり議論が活発ではない。それほど日本の教育は世界標準に程遠いのであろう。

 
いずれにしても文科省は、世界標準については真正面から論じていないし、PISAという日本標準以上世界標準未満のものさしを、日本標準に引き下げた全国学力テストに象徴されるように、世界標準に通用しない教育政策が、日本の公立学校の現状である。

 

したがって、Good Schoolの条件をすでに、この段階で満たさないのが公立学校である。これは残念なことだ。明治政府が追いつけ追い越せ路線でやっていたときは、それでよかった。しかし、その時代は終わった。追いつけ追い越せではなく、新たな発想を自ら生みだす貢献が求められているのが日本社会の世界における位置づけである。

 

その意味で、世界標準をわがものにしようとしているのは、私立学校の場合が多いのである。もちろん、私立学校でも日本標準のままのところもある。

 

それゆえ、Good Schoolかどうかは、結局私立学校の選択問題に限定されてしまう。

 

Good Schoolはいかにして可能か?という問題は、結局私立学校の質の差異の問題ということになるのである。

 

公立学校は、残念なことに、文科省がパラダイムシフトをしない限り、Good Schoolの埒外にあることになる。ただし、潜在的Good Teacherはいるだろうが、その教師も公立学校に勤めることを決めた瞬間にその潜在力を発揮できないまま終わるのである。もしこのことに異を唱える公立教師がいたとしたら、残念なことに冷静さを欠いているといえよう。

 

人生の問題とGood Teacherの問題を混同してはいけない。誰しも妥協せざるを得ないのである。ただ、妥協するか理想を追い続けるかは、進路選択の問題である。ここでGood Teacherと呼んでいるのは、世界標準の教育を実践していることが前提となるから、そのような環境のないところを選んだところで、すでにGood Teacherであるかどうか、その評価の埒外にあるということだけなのだ。

 

もし公立学校の教師で、Good Teacherを目指そうとするならば、それは公立学校にいながらにして、教委や文科省のパラダイムをシフトするチャレンジをしなければならない。しかし、それが法構造上できないのが、現在の公務員であろう。

順天とAPUのコラボの意義

2010/05/12

カテゴリー: イノベーション


☆順天の長塚校長のお話をお聞きしていて、中等教育の領域の先生なのに、ずいぶん理論派だなと思い―正確には子どもたちと共に体験を大いに楽しみ、それを理論で説明しきるという意味―、失礼を顧みず、一般には理屈じゃない情熱だとかハートだとかというのが優先されるのが中等教育の典型だと思っていたのですが、と問うてみた。

 

☆すると、体験や経験が大事なのは言うまでもないが、それを理屈で説明しないと気が済まない性格でねと回答された。しかし、話をお聞きしているうちに、個人的な性格というよりも、学力観やコミュニケーション論など、世界標準の視野で教育を実践されているために、理論は当然必要で、それがなければ、この実践は持続可能にはならないということがすぐに了解できた。

 

☆今日、子どもたちは、人間の存在に対する実感をもつには、その環境が欠落しているのだから、その部分は教育によらざるを得ないという時代認識をきちんと考えていらっしゃる。欠落している部分を埋めるには、情熱的に道徳を説いていても、実現しはしない。組織的に戦略的に革新的に、科学的に構築していかなくてはならない。体験による試行/思考錯誤と理論的検証は当然必要である。

 

☆そして、ふとAPUの伊藤氏が、順天とのコラボをしている話をしてくれたのを思い出した。順天は創造的才能育成、コミュニケーションの発達段階、国際対話力を育成する多様なプログラムをデザインし、理論を追究しているが、その1つの証しとして、アジアの研修プログラムのプレ学習は、APUで学んでから行く。APUにはアジアの留学生がたくさんいるわけだから、彼らと議論やテーマを発見するワークショップをして、世界標準のコミュニケーション体験をまずシミュレーションしてから行くのだろう。

 

☆順天とAPUの世界標準の目線やその必要性が時代の深層から望まれているのだということがつながった。なるほど!

 

☆さて、ところで、この世界標準のコミュニケーションとは、いかなる思想と表現の観点を組み合わせるのだろうか。それは、対話をさせていただいた方々との経験を通して、優れた思考力と表現力の持ち主は、次のような観点を自在に組み合わせていると思っている。体系的に考えているわけではないが、生徒募集や企画の成功を収めている私立中高や大学の広報の媒体やスピーチは、ものの見事に巧みなミックスがなされている。

 

① 理念・ビジョンの普遍性と未規定性
② 理念を実現するバージョン 20世紀型か21世紀型か
③ 要素配列―時間順序
④ 要素配列―重要度順
⑤ 要素説明―事実の説明(分析型)
⑥ 要素説明―要素間の構造説明(統合型)
⑦ 要素説明―要素内の構造説明(変容型)
⑧ 時代の要請と時代のニーズの使い分け
⑨ レトリック―具体例列挙
⑩ レトリック―エピソード、ロールモデル、メタファー
⑪ レトリック―ジレンマ

 

☆逆にいえば、戦略や企画がうまくいかない場合、媒体の表現・デザインやスタッフの思考やスピーチの構成が、理念を実現するバージョンが20世紀型で、時間順序で構成することしかできず、説明も事実の説明のみ、 時代の要請と時代のニーズの使い分けができずに、顧客迎合に終始し、 レトリックといえば、具体例を列挙するだけで、具体例をあげれば、それでわかりやすいと勘違いしている場合が多い。

 

☆具体的な話には、メタファーやストーリーの要素が少しミックスされていなければならない。思考や表現の世界標準のレベルが高いこととわかりやすいことは必ずしも相関しないということを認識できるメディアが、現状ではないというのが、残念な状況なのではあるが・・・。

 

☆ともあれ、世界標準のコミュニケーションの共通コードを、順天の長塚校長もAPUの伊藤氏も有しているから、未来のビジョンと広く深い世界バージョンの対話ができるのである。豊かな質感と高レベルな質をキャッチできるアンテナを身につけたいものである。

APUの新キャリアガイダンス

2010/04/30

カテゴリー: イノベーション


☆“WE CHANGE ! WE ADVANCE !  2011年4月、APUが進化します。”という受験生向けのリーフレットを入手した。そして、またまた驚いた。“WE”とは、受験生のことだったのである。もちろんAPU自身のことなのだが、それはAPUにかかわれば、受験生のみなさんも<私たち>ですよというメッセージだったのである。

 

☆それにしてもストレートな投げかけだ。「最適の学部・コースを見つけよう!あなたが関心のあるテーマは何ですか?」と問うた後に、ずらりと、80のテーマが並ぶ。

 

都市開発 エコロジー 水質汚染 地球温暖化 CO2削減 砂漠化 資源・エネルギー 遺伝子組み換え 気候変動 国際開発協力 食糧問題 少子高齢化 人口過密・過疎化 格差社会 医療・福祉 ナショナリズム 報道倫理 情報セキュリティ 異文化理解 民族・宗教 観光資源 歴史・文化 エコ・ツーリズム 観光開発 ホスピタリティ 地域振興 諸費者行動 観光ビジネス サービス産業 安全保障 国際協力 国際政治 人道支援 基地問題 紛争解決 テロリズム 平和構築 憲法9条 難民 人材開発 企業の社会的責任 国際取引法 投資戦略 経営マネジメント 雇用問題 経営倫理 価格競争 リスクマネジメント 企業買収(M&A) ビジネスプラン ニュービジネス e-ビジネス 日本的生産システム 価値創造 技術革新 知的財産 アジアビジネス法 世界市場 国際ビジネス 製品開発戦略 販売・プロモーション戦略 ブランド価値 流行 消費予測 国際物流 企業分析 WEBマーケティング 情報収集・分析 消費者ニーズ サブプライム問題 監査 投資 証券 税金の仕組み アジア金融市場 原価 簿記 資産運用 金融危機

 

☆どのテーマを選ぶかで、最適な学部に行きつくようになっているが、大事なことは、そもそも自分の人生のテーマは何であるかを明確につかんでいる受験生というのはいるのだろうかということである。論文のテーマではなく、学部選びのためのテーマだから、ある意味人生のビジョンであり、意志であり、クライテリアであり、生き様の理念でもある。

 

☆本源的な大事なことだけれど、いまだはっきりしない未規定性なるものだろう。学部を選ぶ前に、ここの決着はいかにして可能なのだろうか?

 

☆結局、ここがないがしろにされているから、偏差値みたいなものがはびこるのである。受験市場はここを育成しない。私立中高一貫校は、キャリア・デザインのプログラムの中でかなり取り上げるが、ここまで詳細なテーマをカバーできるだろうか。

 

☆ところがである。APUはできるのである。だからこそ、APUの受験生向けの広報活動は、同時にキャリアガイダンスにもなっているのである。

 

☆APUの受験生向けのキャリアガイダンスは、informingするだけではない。

 

advising

counselling

assessing

enabling

adovocating

 feed back 

 

☆すべてがシステムとして存在している。このシステムは大学4年間通じて回転しているが、入学試験の時から開かれているわけだ。

 

☆サマーキャンプやワークショップ、多様な国からの留学生との対話などの豊富なイベント企画は、キャリアガイダンスのシステムの一環である。ここがほかの大学のアドミッションと違うところだ。

 

☆それから読書までススメられる。今回は「ガラパゴス化する日本」という吉川尚宏さんの本が紹介されていた。この本も新しいタレント・テクノロジーの話題が満載されているから、自らの生き様を考えるよいきっかけになるだろう。

 

☆聞いて、話して、活動して、読書して、何より考えて、未規定だけれど本源的な自分の存在とその自分が形成する世界像をイメージできる受験生のためのイベント。新しいキャリアデザインの1つのあり方ではないだろうか。

 

☆なるほど、WE CHANGE ! WE ADVANCE !  ということなのだなぁ。

立命館アジア太平洋大学(APU)の存在意義[07] なぜ今APUのオープンキャンパスか

2010/03/19

カテゴリー: イノベーション


☆今月27日、APUでは、来春受験生対象のオープンキャンパスを開催。センター試験英語対策や小論文対策という実益的講座から世界97カ国からの学生が企画する夢のプログラムまで多彩で幅広い。

 

参照)APUオープンキャンパス・プログラム

 

☆しかしながら、なぜAPUのオープンキャンパスに参加するとよいのだろう。それは、内向き日本社会で生きるのが当たり前だと疑う余地のない状況では、行ってみなければわからない。日本の社会でどのように生きていこうかと考えるのがどこがおかしいのだろう。

 

☆そう思っているうちは、世界=日本というフィルターがいつの間にかできあがっている。最近では、すっかりそういう傾向らしい

 

☆しかし、考えてみれば世界は狭いようで広い。世界はつながっているじゃないか。江戸時代鎖国していても、オランダが日本と貿易をして、世界に流通する銀の30%は日本から流れていたというじゃないか。

 

☆世界を知らない日本人の生活経済が、いつの間にか世界の経済を、というかオランダやイギリスの帝国づくりの大きな支援をしていた。この銀によって、眠れる獅子中国の文明文化のオランダや英国の奪取のサポートをしていたことになる。

 

☆内向き日本の状況は、ある意味その当時と変わらないかもしれない。そして鎖国時代を打ち破る必要性を感じていたのは、当時やっぱり九州からだった。

 

☆内田樹さんは、日本人は辺境人だと語って世の中の見方をおもしろくしている人だけれど、九州は世界から見れば辺境ではなかったかもしれない。江戸は辺境人の集まりなのに、たぶん九州を辺境だとコンプレックスのイリュージョンをつくっていた。しかし、実はそうではなかった。

 

☆APUに行けばそれがわかる。自動車リコール、牛肉輸入規制撤廃、クジラやイルカ、クロマグロなどの日本の食文化への敵視・・・など、ジャパン・バッシングが高まっている今年。まるで黒船到来の時と同じような心的構造が蔓延している。

 

☆内向きになって辺境人であることを忘却するのではなく、辺境人であるがゆえに世界に発信しなければならないことがある。それは何か。龍馬が流行しているのは、たんにメディアが作り上げた偶然ではないかもしれない。APUのオープンキャンパスは、龍馬の言動とシンクロできるチャンスかもしれない。

 

☆そういえば、サンデー毎日(2010.3.28)で、内田さんは、早稲田大学は日本人の「内的自己」を代表し、慶應義塾大学は「外的自己」を代表するも、両方とも「辺境の大学」だと語っている。明治、中央、法政などは早稲田系、上智、ICU、青山、立教などは慶應系だとも。

 

☆APUはそのいずれでもない。世界の問題解決の発信拠点であるからだ。

立命館アジア太平洋大学(APU)の存在意義[06] APUの就活のベース

2010/02/17

カテゴリー: イノベーション


☆今月12日の日経ネットPLUSで、APUの就職率の高さの理由が紹介されている。

 

・・・・・・この大学が既存の大学と大きく違うのは、学生の半数をアジアをはじめとする海外からの留学生とする方針を打ち出したことだ。 APUが2011年3月卒業予定の3年生向けに開いた会社説明会は09年10月から始まり、参加した企業は10年1月末で154社に及ぶ。「昨年とほぼ同じペースで、6月には300社を超えそう」(亀田直彦キャリア・オフィス課長)。「日本人学生と留学生を同じ基準で採用している企業も多い」という。

 

☆この企業の採用担当者が東京や大阪から集結するというのは、APUの学生が端的に欲しいということだろう。亀田課長は、09年3月の新卒内定率95.6%には10年3月は届かない可能性があるといっているようだが、これは大学就職内定率73.1%の時代の雰囲気を敏感に感じて、できる限りの手は尽くすという戦略家らしい、つまり頼もしい物言いだ。自信の裏返しだろう。

 

☆大学側のこの自信そして企業が欲する理由は何かというと、本記事によると、

 

企業が見ているのは「物事を自分の頭で考えられるか、仕事に向き合うスタンスはどうか、へこたれないで立ち向かえるか、他人の話を聞いたり自分の意見を話したりするコミュニケーションの能力があるか」(リクルートワークス研究所の大久保幸夫所長)

 

☆ということらしい。世界同時不況やバブル崩壊は、今後も必ず訪れるというのが資本主義。その事態を迎え撃って、サバイバルできる人材は、創造的思考力とコミュニケーション能力が高い人材。いよいよ日本もクリエイティブ資本主義に突入という感じが伝わってくる。APUは、やはり最前線拠点だ。

 

☆この日経ネットのサイトには、当然ながらコメントが書きこめるシステムになっている。このコメントがまた参考になる。それによると、かりにそういう優秀な人材を企業が求めているということがわかったとしよう。それは確かに参考になるが、こんなクリエイティブな人材の演技を就活で演じても、すぐにボロがでるだろうというな感じだったか。

 

☆つまり、クリエイティブな人材は、一朝一夕に育つわけではない。大学4年間で、思考トレーニング、人間関係づくりをいかに積んできたかにかかっているということだろう。結局APUの就活のベースは、小手先のスキルではなく、幅広く奥深い探究活動そのものなのだ。サバイバル能力を求めている企業は、そのことをよくよく心得ているのである。

 

☆ああ、そうそう。このクリエイティブな人材は、日本人どうし切磋琢磨してもなかなか育たない。異文化・異視点をもっている人材どうしが日々議論する環境でしか大量に育たない。そんな環境は、ガラパゴス日本ではないだろう。いや、まさにAPUがその拠点。そこを実感している企業が、APUを訪れているはずである。